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近代化の歴史的起点 |
それまで世界でいわば常識といいますか、学界の通説となってい |
いました。それはドイツの歴史学派以来マルクス経済学も含めて世界的な通説となっていた古典理論なのですが、資本主義は貨幣経済なのだから、貨幣経済の発展、あるいは商業の発達、コマーシャライゼーションの結果として資本主義が現れる、と単純に考えていた。 貨幣経済や商業の発展は「人類の歴史とともに古い」存在ですが、そういう古い前期的資本と言われるような営みが拡大し、その延長線上に資本主義が形成されるんだと、コマーシャライゼーションでキャピタリズムの形成を説明するというのが通説だったのです。 けれども、先生はこの通説に疑問を投げられて新しい説明の仕方を提起された。「人類の歴史とともに古い」前期的商人の営みを含めて、貨幣経済の発達一般が、常に、どこででも資本主義(その基礎をなす産業資本の営み)を生み出したとは限らない。商業の発達が奴隷制を強化したり、市場目当ての封建領主の直営地経営を拡大したことも存在する。 西洋近代にみられた資本主義の形成を説明するためには、単なる貨幣経済の発達ではなくて、その貨幣経済のあり方、構造を問う必要があるのではないか。 こうして先生は、新しい市場経済、それも中小の農民や職人たち、そういう勤労大衆を担い手とし、そしてまた彼等の所得を購買力の源泉とするような、そうした新しい市場経済の発展、農村工業を基礎にした中産的生産者層の独立自由な発達、そのうちに資本主義形成の基本線を求めるという、小生産者的発展説を提示されたわけです。 | |
近代化の人間的基礎 |
その際、経済は人間の営みなのだから、経済、その歴史をとらえ |
行動を内面から支えている理念、思想、宗教などの文化領域の重みも十分に考慮しなければなりません。だから、先生は経済史研究にあたっては、「経済史的な余りに経済史的な」立場は「これを超えねばならぬ」ということを早くから、そして生涯、強調されました。 「人間類型」への関心、マックス・ヴェーバーが提起した「資本主義の精神」への比較史的な関心こそ、「大塚史学」の核心をなす重要な特徴と言っていいのだと思います。近代化の歴史的起点と人間的基礎について、こうした新しい立場を構想して提唱するということは、大変な挑戦で、しかも、それは経済決定論的な法則史観への批判を意味しますが、大塚先生は直接的にはゾンバルトの克服に自分は血みどろの努力をしたと語っておられました。しかも、そうした世界の通説への批判はまた、ご自分の大学での直接の恩師に対する批判でもあったことを附言しておきます。 ともあれ、いま私は「歴史を研究する前に歴史家を研究しなさい」という言葉を思い出しています。大塚文庫の開設は、大塚先生の創造的な問題提起を育てた培養器が何であったかを知るための宝庫が出来たという意味で、また同時に、大塚先生が蒔かれた種を大きく育てる培養器ができるということで、意義深い出来事です。 文庫の開設に努力された方々に心からの敬意を表したい思いでございます。 | |
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