安達太良山を望む

        春 附属図書館

『大塚久雄文庫目録』の発刊にあたって

 附属図書館として4年あまりにわたり取り組んできた「大塚文庫」の整理が完了して『大塚久雄文庫目録』として結実する運びとなり、附属図書館としては重大な任務を果たすことができた安堵感でいっぱいである。この作業は長い時間と担当者の熱意および努力なしでは完成し得なかった。大塚先生は大変な勉強家である。多くの本が形をなさないほどボロボロとなり、傍線やら書き込みがなされている。その一つ一つをチェックしつつ整理し、目録を作り上げることが図書館に課せられた課題であった。

 出来上がった『目録』を眺めてみると、この「文庫」が実に広い分野から成り立っていることがわかる。歴史・経済・哲学関連の書籍が多いことは当然だが、自然科学や数学にまで範囲が及んでいる。大塚先生がどのような本を読み込んでいたかに興味を持つ『目録』の読者も多いのではないかと思い、実際に大塚先生の遺品の椅子に座り、机上に並んでいるヴェーバーやアンウインの古書を前にしつつ先生の書棚を拝見するといくつかの発見があった。

 まず目を引くのは『資本論』セットが幾組もあり、複数のセットがボロボロになるまで読み込まれていることである。大塚先生がキリスト教に深く親しんでおられたことは良く知られており、キリスト教関係の本も多数文庫に収められている。しかしどちらかといえば読み込まれている、というよりは「並んでいる」といったほうが良い。しかしその中にあって『旧約聖書』は、頑丈な皮装丁がすっかり擦り切れ、角が丸くなっている。恐らく先生はこの聖書を何度となく繙かれたのに違いない。ヘーゲル哲学関係も良く読まれている。このように見てくると、本に残された「手ずれ」という物理的な証拠から見るかぎり、大塚先生の思想的なベースは、日本的なものにあるというよりは西欧で花開いたプロテスタント的なもの、ドイツ的なものであったということがわかるような気がするのである。確かに、日本の禅的な土台を持つといわれる西田哲学関連の書籍には手ずれの跡がほとんど見られず、禅関係の本も白隠の1冊を数えるのみである。むしろ先生は親鸞の書に惹かれていた節がある。このあたりの吟味は、「思想家としての大塚久雄」の研究者に譲りたい。「文庫」には献本も多数含まれており、中にはずいぶん読み込まれた幸せな本もある。

 「文庫」の中に『アンデルセン御伽噺』があった。セロテープで補修してある。また机の上にはなんとシンデレラの絵が大切に飾ってあった。こうして「文庫」に囲まれていると、先生は偉大な学究であったと同時にその精神において夢見る少年でもあったのではないかと思えてくるのである。こんな「発見」ができるのも「文庫」を蔵している図書館の特権であろう。

                  福島大学附属図書館長  箱 木 禮 子