『書燈』 No.23(1999.10.1)

前記事⇔⇔次記事

思い出の一冊
経済学部 クズネツォーワ・マリーナ

 今から14年前に、モスクワ大学の研修生グループの一員として日本の東海大学に留学していた頃、日本文学の授業を担当して下さっていた先生に、日本を理解するには読むべき作品のリストを作っていただきました。振り替えてみると、そのリストは、結構膨大なもので、川端康成、夏目漱石、井上靖は当然のこと、三島由紀夫、大江健三郎、安部公房、司馬遼太郎、それに、村上春樹の小説までも載っていました。留学の残りの1ヶ月間で神田辺りの古本屋を仲間と走り回って、その本を、買い求めていることが思い出されます。その時手に入れた本は、ロシアに帰国してから、時間を作ってゆっくり読む、と思っていました。しかし、残念ながら、ほとんどの冊は、いまだにモスクワのアパートに「積読」のままに、私の読んでくれるのを待っています。

 「思いでの一冊」、しかも日本語で読んだ「思いでの一冊」というのは、専門に関わりのある論文や図書などを除いて、普段はロシア語、又は英語で読む私には、...松本清張の「点と線」という推理小説(!?)でした。推理小説を、原則としては、好まない私が、どうしてそんなものを。それには、一つの理由がありました。

 留学後、ロシアに帰ってきてからは、日本で入手した本を何冊か読むのを試みました。しかし、そのリストに載っていた作品のほとんどは、もう既に露訳文で読んだことがあったせいか、日本語の能力がまだまだだった私には日本文を読むのが難しすぎたせいか、試みは失敗してしまいました。一番長く読みつづけたのは、三島由紀夫の「金閣寺」でしたが、文書に出るほとんど全ての単語を辞書で調べて「のろのろ」進むか、分からないところを無視して、作家の伝えたいことをあくまでも分からずに読み進めるか、という読書スタイルには、文学の美しさを感じられる魅力は一切ありませんでした。そこで、登場したのは、...松本清張の「点と線」でした。推理小説は、ジャンルから考えても、文書はそれほど難しくないし、事件を解くために一歩一歩進んでいくと同じように、各単語を調べながら日本語の謎を解いていくことを、全然不自然とは思いませんでした。「点と線」は一気に読みこんでしまいました。申し訳ないことに、何の話だったかさっぱり覚えていませんが、読んだ頃から残っていた分厚いメモには、辞書で調べてきた単語とその訳が並べてありました。それ以来、外国語の勉強をするには、推理小説の読書も本当に役立つと、私は確信しています。松本清張の「点と線」は、大学生の私の言語能力を高めてくれた、まさに「思いでの一冊」です。

gakujo@lib.fukushima-u.ac.jp

書燈目次へ