福島大学附属図書館報 『書燈』 No.29(2002.10.1)

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思い出の一冊
『カラー図版 大日本歳時記(全5巻)』 講談社 1981
永幡 幸司

  風流のはじめや奥の田植うた 芭蕉

  田植機が奏でる無骨な田植唄 芳賀公男

  これらの俳句は、それぞれ江戸時代と平成に詠まれた田植えの情景の句です。これらを比較することで、田植えの音風景が「田植うた」が聞えてくるような「風流」なものから、「田植機」の「無骨」な音が響き渡るようなものに変わってしまったことを読み解けます。このように、日本の音風景がどのような時代変遷をしたのかについて、俳句の世界から読み取ろう──ただし、統計的に──というのが、私の卒業研究のテーマでした。

  この「統計的に」という条件が曲者で、これを満たすためには、ある程度の数の俳句を統計処理しやすい形に整理したデータベースが必要でした。そこで私が最初に取り組んだ作業は、新聞の投稿俳句欄に掲載された音についての記述のある俳句のデータベース作りでした。その際お世話になったのが『日本大歳時記』です。音についての記述のある句がいつの季節に詠まれたのかを季語から割り出すために、季語の索引として利用していました。

  この歳時記は、総索引には各季語の季節が春夏秋冬でしか書いてないので、より詳しい時期を知るには本文を見るしかないという「欠点」がありました。なぜ「欠点」かというと、本文を開くとついつい解説を読み、例句を読み、時には次の季語まで…というように、作業が捗らない原因をずいぶん提供してくれたからです。おかげで、データベースができあがる頃には、季語や季節についての知識がそれなりについた上、俳句の世界がとても好きになっていました。

  私が専門としている「サウンドスケープ」というのは、音環境を単なる物理的な世界として捉えるのではなく、それを人々がどのように意味付けているのかという点まで含めて捉えようという考え方です。このような立場で研究を進めていくには、音に関する物理的な知識だけではなく、文化についての知識も要求されます。私が歳時記を読み進めるという横道作業の中で得たものは、まさに、俳句という文化の中に現れた、日本の音文化についての知識であったと思います。そして、この知識によってこそ、なんとか卒論を仕上げることができたのではないかとも思います。

  学生時代にお世話になったこの一冊、今でも私の研究室の本棚に鎮座し、相も変わらず、研究の邪魔をしてくれています。   (請求記号386/ka64k)

(行政社会学部助教授)

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