『書燈』 No.19(1997.10.1)

前記事⇔⇔次記事


パリの大学図書館     行政社会学部 晴山一穂


 1995年3月から外地研究の機会に恵まれ、ほぼ2年間にわたってパリで過ごしてきました。「歴史上の階級闘争がつねにほかのどの国よりも徹底的に、決着まで戦いぬかれた国」、「つぎつぎと交替する政治的諸形態が最も明確な輪郭をとってきた国」というエンゲルスの言葉(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』第3版への序文)に魅せられ、学生時代からなんとなくあこがれていたフランスでの初めての留学生活。そこから私なりに得たことは非常に多かったのですが、ここでは、パリの大学図書館のことを少し書いてみたいと思います。

 私を受け入れてくれた大学は、パリ第1大学。かつてパリ大学といえば多くの学部を傘下におくフランス最大の国立総合大学でしたが、1968年のいわゆる5月革命の際の大学改革によって従来の学部がそれぞれ一つの大学として独立することになったため、大学の数もその後著しく増加しました。現在パリとその周辺には第1から第13までの大学がありますが、多くは人名などを冠した別称をもっており、パリ第1大学は地名を冠してパンテオン‐ソルボンヌと呼ばれています。大学の建物はパリ第2大学と共用でパンテオン宮殿の目の前にありますが(写真参照)、この建物の周辺に大学図書館が3つ置かれています。私は、このうち、法律・経済を中心とする百万冊の蔵書を有するキュジャス(Cujas)図書館を主に利用していました。

 ところで、最初にいってみて驚いたことが2つ。ひとつは、館内が学生で満ちあふれ、机は満杯、周囲は学生の声で騒々しく、コピー機の前は長蛇の列、とても落ち着いて本を読もうなどという雰囲気ではなかった、ということ。もうひとつは、窓口で雑誌を申し込んで待っていたら、係員から「おまえはどうしてそこに立っているのか」と不思議がられたこと。なぜ不思議がるかが不思議だったので尋ね返してみると、雑誌がでてくるまでには40分はかかるのでその頃取りにこいとのこと。ふと上を見たら、よく病院の薬局の窓口にあるような番号がいっぱい並んだ巨大な掲示板があり、自分の番号が点灯したら窓口に雑誌が届いたという印との説明。なるほど私の前には何十人もの未点灯の先客が控えており、これでは時間がかかるのも無理はない、と暫時外に出てパンテオン前のカフェでワインを一杯。

 ここにも示されるように、パリの大学図書館の特徴は、思ったよりも施設が貧困で利用も不便であるということ。ちなみに、ポンピドーセンターの中に一般人向けの大きな図書館があるのですが、そこもまた、席を確保するために長い列を作って待つ学生で毎日満ちあふれているという状況。そこの女性館長さんは、「大学図書館でもないのに一日1万人の利用者の大半が学生で占められるのは何という逆説か」とぼやいています(95年10月19日付けパリジアン紙)。もっとも、パリから新幹線で西に1時間ちょっとのポワチェ大学の図書館は近代建築で席数にもかなりゆとりがあったので、上の事情はパリや大都市部の大学に固有のことなのかも知れません。

 ちょっと話はずれますが、フランスで驚かされることは、図書館に限らず全体として大学の施設が非常に貧困なこと。95年末には、全国の大学で施設の改善を求める大規模なストライキが戦われました。こうした実状を2年間も見ていると、彼の国の学生たちに心から同情を禁じえなくなります。それと比べてみると、立派な図書館と比較的整った施設をもつ本学学生の何と恵まれたことか!でも、ちょっとまてよ。ひょっとしたら、パリの図書館がいつも学生で満杯なのは利用率がそれだけ高いというのも原因の一つかも知れないぞ。ということは、本学図書館の席に余裕があるということは逆にそれだけ学生が利用していないということではないのか、もしそうだとしたらこれはゆゆしいことだぞ……なぞという考えが今ひょっと私の頭をかすめてきました。よし、今度パリにいったときは、パリ大学の学生の図書館利用率を調べてみよう。そして、それと本学学生の場合とを比較してみなければ……。

<写真解説>

パリ第1大学正門。看板には、昔の「パリ大学法学部」の名称がそのまま残っており、その上方には「自由、平等、博愛」という大革命以来の共和国の標語が刻まれている。本文に記したキュジャス図書館はこのすぐ後方にある。なお、前の人物は、外地研究でパリ訪問中の中川弘経済学部教授(右)と筆者。


lib@mail.ipc.fukushima-u.ac.jp

書燈目次へ