『書燈』 No.22(1999.4.1)

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モスクワ図書館事情−1998年の体験から

行政社会学部 小島 定


 私がモスクワ滞在中に利用した主な図書館には、それぞれタイプを異にする3つのものがありました。それを報告して「書燈」編集部への責めを塞ぎたいと思います。一つは「レーニン図書館」で、言うまでもなくロシア最大の有名な図書館です。ロシアの今の「ご時世」にあわせて、「レーニン」という名前を削り「ロシア国立図書館」と名前を変えましたが、「通の」間では今でも「レーニンカ」という愛称で呼ばれています。ここにはすべての分野の蔵書が完璧にそろっていて、学生から学者までいつも人で混み合っていますし、ずらりと並んだ図書カードをひくために、あっちへ行ったりこっちへ来たりと、私などには「運動不足」の解消になるくらい大きな図書館です。「レーニンカ」が総合図書館なら、もう一つの「イニオン」(正式名称は「ロシア科学アカデミー社会科学情報研究所」)は、さしずめ社会科学系の研究用専門図書館といったところです。こちらの方は、革命前後の蔵書もそろっていて、社会科学系の研究者ならたいていの人が利用してきた図書館で、これまでも私はここを主な仕事場にしてきました。

 この二つとも国立の図書館で、ソ連時代にあった「スペッツ・フォンド」という名の「閲覧制限」措置はなくなり、すべて蔵書がフリーに利用できるようにはなりましたが、利用システムは昔のままで、借出と返却には手間もかかるし、管理はすこぶる厳格で、レーニン図書館では今でも出口に「警官」が立っていて、持ち物検査しています。図書館に警官とは・・初めての人は決まって「やっぱりロシアか」と反応すること請け合いですが、図書館の蔵書は今でも立派な「国家的文化財産」というわけです。ところが、いまは国家財政がピンチでここに降りる予算は雀の涙で、特にイニオンでは、新刊書と洋書が入らなくなりました。イニオンの所長は「蔵書を調べた後世の人々は90年代のロシアには文化がなかったと言うかもしれない」と絶望的な声を上げる始末です。ここでは10月末になっても暖房が入らず、私などは分厚いコートを身に纏い、例の毛皮の帽子をかぶって本を読んでいたというような状態です。

 ところが、私が利用した3つめの図書館は、旧来のロシア式図書館のイメージを完全に覆すもので(しかし、はじめてモスクワを訪れた欧米人には母国で見慣れたもので、珍しくもなんともないでしょうが)、長年ロシアの図書館に「馴染んできた」者にとっては、これはちょっとした驚きで

す。92年のいわゆる体制転換後、私立や半官半民の大学が続々と新設されましたが、私が利用したのは、そのような大学の一つ、「モスコーフスカヤ・シコーラ」という社会学、法学、経済学系の大学のものです。この大学はイギリスのマンチェスター大学とロシア国民経済アカデミーとのいわば「合弁」で設立された大学院大学で、そろえたスタッフからみても、凡百の「駅弁大学」とは明らかに違って、しっかりとした大学です。図書館に入ると、開架式でかつオープンな明るい閲覧室

がいっぱいに広がり、その真ん中にコンピュータをずらりとならべています。図書検索はもちろんインターネットも自由に利用できます。さらに、出口でのチェックの役目は、特別な「センサー」が行ないます。新設ですから、蔵書は多くありませんが、ここの自慢は欧米の定期刊行物がそろっていることです。こうしたタイプの図書館が登場したことは、従来のロシアの図書館事情からみれば、たしかに革新的な動きです。しかし、すぐ言っておかねばなりませんが、ここの運営資金は例のヘッジ・ファンドの大立て者ジョージ・ソーロスの「文化財団」でまかなわれているということです。もとより、資金の出所はどうであれ、この新タイプの図書館が、一つの新しいロシアの学問文化を育んでいる事実を、私は決して否定するものではありません。しかし、他人の、しかも「あぶく銭」に依存するばかりでいいわけはないだろうし、これまでともかく自前で蓄積してきた、たとえばあのイニオンの貴重な「学問的遺産」を荒れるままに任せておいていいと言うことには決してなりません。「本物の」学問文化の営みというのは、人間の社会的行為の中でも、「断絶」や「飛躍」というのが一番困難な分野の一つではないかと思うからです。私の垣間見たモスクワ図書館事情からそんな事を思いました。私のちょっとした感想です。

1999228記)

 「モスコーフスカヤ・シコーラ」新タイプ図書館にて


gakujo@lib.fukushima-u.ac.jp

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