『書燈』 No.26(2001.4.1)

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「大塚文庫」のこと
経済学部  樋口 徹

 「大塚文庫」というのは、1996年に89歳で亡くなられた大塚久雄氏が所蔵されていた書籍約6,000冊を中心とし、ノートや講演の録音テープその他の関係資料をひとまとまりにして、図書館にある一般の書籍・資料などとは違う、特別の扱いをするようにしたものである。いま4年がかりの整理も終わり近く、この秋には公開されると聞く。

 大塚久雄という人はどういう人か。形式的なことをいえば、昔は東大でもほとんどいなかった数少ない経済学博士、東大教授、停年後は国際基督教大学。文化功労章、文化勲章および朝日賞を受けられた人。日本の西洋経済史学を戦後一挙に国際的にも卓越した水準に高めた人。1950年代のいわゆる「移行論争」でその真価が国際的に認められ、著作集全13巻、等々。しかし型通りの紹介をしても面白くないだろうから、関心のある人には最近いくつか出ている日本史辞典を引くとか、もう少し学問的なことを知りたい人には、中公新書にある桑原武夫編『日本の名著』(ちなみに、これが中公新書の最初の本で、1という番号がついている)、樺山紘一編『現代歴史学の名著』、あるいは、講談社学術文庫と岩波現代文庫に2、3点ずつ入っている比較的小さな著書に付けられた解説を読むことをすすめる。どれも相当の人が苦労して立派な解説を書かれている。

 しかし、僕にとっては何より自分が先生とした人である。それも、たまたまそういうことになったのである。僕は、この人の『近代欧州経済史序説』という本を、1956年、大学2年の時に西洋経済史の試験のために読んで、歴史というものは暗記するものなどではなくて、理解するもの、理解できるものだということを発見し、それまで面白くなかったものが面白くなって、3年に進学するとおそるおそるゼミに入れて頂き、ますます面白くなって大学院にも行き、とうとう大学教師にまでなってしまった。そしてこの3月にはめでたく65歳の停年退職を迎えるのだから、僕の一生は、この人の1冊の本とのたまたまの出会いによって方向づけられたといってよい。僕はこの人を先生としてもったことをとても幸せに思い、また誇りにも思っている。

 東大の大塚ゼミの同窓会を「ヨーマン会」というが、そのヨーマン会の幹事の1人から突然電話があって、大塚先生のご遺族が、先生の蔵書をばらばらに散逸させたくないのでどこか一括して寄付できるところはないかと探しておられる、福島大学でどうか、と打診を受けたのは、多分、先生が亡くなられてまだ数ヶ月という時だったと思う。それは光栄だが、大塚門下生としてはもったいない。東大か、少なくとも東京近辺のもっとみんなが利用しやすいところに引き受けてもらった方がよい、それに福島大学は現在書庫には余裕ができているが、「文庫」はつくらないというきまりにいつの頃からか変わっていて、もとあった日本経済史の藤田五郎さんの生前の蔵書でつくった「藤田文庫」もいつのまにかばらばらに解体されてしまっているくらいだから、といったが、幹事の人はなかなか引き下がらない。東大は、書庫がきつくなっているから、ない本だけ抜き出してなら頂きたいが、一括では受け入れられないというし、国際基督教大学も書庫と整理の人手と費用の問題があって無理だそうだ。あちこち当たってみてはいるが、どこも同じような事情だ、という。人手と費用の問題は福島も同じで、小さな大学だからほか以上に厳しいだろうといっても、まだ、碩学の大塚先生の蔵書だぞ、とか、ゾンバルトやウェーバーの本が何冊もあったぞとか、いろいろ僕を誘惑しようとする。しかし、僕は今の綜合図書館ができた時に経済学部の図書委員長をしていて、規程作りにも参画していたし、つい最近、図書館長もつとめ終わっていて、図書館の事情もきまりもよくわかっていたから、一括引受けはまだしも、「文庫」は無理だ、もっとほかの良い所を探してみてほしいと答えた。

 翌日、図書館に行って、僕の後に館長をしていた教育学部の渡辺義夫さん(その後、館長を終わった後で、金谷川駅前で不運にも交通事故にあって亡くなられた)に、こういう打診があってこう応対しておいたと報告した。ところが、ここから急に話が大きく変わってくるのである。大塚久雄といえば、専門違いの自分でも名前を知っているぐらいの人で、そういう人の旧蔵書を頂くなど、願ってもない幸せだ、「文庫」はつくらないというきまりがあるとしても、例外があってもよいのではないかと、大車輪で動き出された。そしてしばらくの内に、図書館職員たちの了解をとり、学長からも費用などの点では協力するという約束をもらい、「大塚文庫」をつくるという形で受け入れたい、という方針を僕に伝えられた。「ヨーマン会」の幹事は大変喜んだ。僕も、大変だな、少しもったいないな、とは思ったものの、それでもうれしい気持ちがした。図書館協議会で最終的に受け入れが決定された時、僕もいわば参考人としてそこに出席し、協議会終了後、館長室で酒を一杯所望した。

 さてそれからがまたいろいろ大変だった。普通の古書の受け入れとは違って、1冊1冊中を調べ、書き込みやアンダーラインの有無をチェックし、それを目録に記載しようというのである。大塚久雄という人を、あるいは「大塚史学」と呼ばれるその独創的な経済史学を、社会科学史的ないしは思想史的に研究しようという人がいるならその役に立つような目録を作りたい、というわけである。図書館専門員の渡辺武房君は、数年間この仕事にほとんどかかり切りになった。ご遺族からは、蔵書を寄贈して頂いたばかりでなく、整理の費用にと、数年間にわたって数百万円の寄付まで頂いた。そのようにして、もうしばらくすれば目録も印刷され、「文庫」も公開されるというところまで、やっと来たのである。

 1冊1冊をチェックする準備作業は、本学にいる弟子、孫弟子、イギリス史に関連する研究をしている人など数人が当たったが、その仕事をしていて驚嘆し、ほとんど感動したといってよかったことは、大塚先生はただ沢山の本を読まれたというのではなく、これという本は何度でもくり返して徹底的に読みこまれていたことである。そういう本の場合は、書き込みやアンダーラインなどは、鉛筆やペンがいりまじり、一見して何度も重ねて書かれたことがわかるし、表紙もすり切れ、ちぎれそうになっている。中には表紙はとれ、本体の方もほとんどバラバラにこわれているものさえある。マックス・ウェーバーの宗教社会学論集(もちろん原書)がその典型である。ウェーバーの本の中には、まっくろに汚れたものからまだ新品のものまで、同じ本が2セット、3セットとあるものもある。「韋編三絶」という言葉があるが、竹簡を綴った革紐が三度切れてしまうまで読み込むという意味で、まさにそれである。ああ、これだけ読みに読まれたから大塚先生がウェーバーのことを話されるとき、ウェーバーがそういっているのか大塚先生がそういっておられるのか、よくわからなくなって、「……とウェーバーはいっているんですよ」といわれてやっと、ああやっぱりウェーバーだったかとわかるということがよくあったのだ、と納得できたのである。そういう人の本が「大塚文庫」をなしているのである。

 

gakujo@lib.fukushima-u.ac.jp

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